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ちょっとだけ、許してみる。
 ……ちょっと気分転換したいなぁ。
 僕はそう思って、ずっと読んでいた文庫本をやっとこさ下ろした。この本、重めの内容だから読み続けるとちょっと辛いときがあるんだ。六時間くらいこのシリーズを読み進めていたので、閉めっぱなしのカーテンの隙間から外界を窺ってみればもうすっかり暗くなっている。
 目が疲れたから、お茶でも飲んでちょっとだけ目を閉じていよう。決めて椅子から立ち上がって、僕は手にした文庫本をとりあえずとテーブルの上へ置いた。それからカップを出して、簡易なティーバッグを放り込んで、ポットでお湯を注ぐ。頃合いを見てティーバッグを抜くと、安っぽくも紅茶の香ばしい香りが鼻をついた。さっきまで目ばかり使っていたから、なんだか新鮮に思える香りだ。もちろん、本当は嗅ぎ慣れているけど。
 香りのお陰で、僕の意識は文字の世界から五感が受けとる新世界にやっと対応した。くるりと部屋を見回せば、乱雑に積まれた新聞とかチラシとかが、そこいら中に汚ならしくとっちらかっているのが見える。これがうちでは普通だから、今更汚ないだなんて思いもしないけど、見回して気分が晴れるものでもなかった。大人しくお茶に集中することにして再び椅子に深く腰かける。
 僕は猫舌だった。淹れたばかりの紅茶は熱くてまだ飲めない。目の前に無造作に置かれた文庫本に目が行ってしまうけど、休む目的でお茶にしたんだから、せめて終わるまでは読むまいと首を振った。
 それから、使い続けた目を休めるべく相貌を閉じる。僕しかいない部屋、無音を背景にして時計の鳴るカチコチという音だけがクリアに耳をつく。目を閉じたことでじわじわと疲れた箇所に涙が染みていく感覚に、僕はただただしばらく身を任せていた。
 そろそろ紅茶冷めたかなぁ、と、おもむろに目を開いてみる。先ほど紅茶の香りを嗅いだときもそうだったけど、ちょっと使っていなかった五感のうちひとつが一気に回復すると、変な感じだ。字面よりよほど小規模に、世界の次元が変わったような気がする。
 カップに両手をかけて、ふーふーと丹念に息を吹き掛けていく。熱いのは、本当に駄目なんだ。仕方がない。でも、あったかい紅茶は好きだから困りものというやつ。
 恐る恐るすすると、どうやらなんとか飲める温度にまで冷めてくれているらしい紅茶が口の中に入ってくる。相変わらず安っぽいけど、相変わらず嫌いになれない味。香ばしい香りに支配される。うん、美味しい。
 優雅ではないかもしれないけど、紅茶を一気に飲み干してテーブルにカップを置いた。テーブルの上で視線を滑らせて当然目に入るのは、置かれた文庫本だ。
 ……あーあ。
 結局は、休憩してても本の続きは気になるものだった。僕は文庫本に手を伸ばす。紅茶のカップを片付けるのは、まあ後でいいか。
 ……だらけているって? そんなこと、わかっている。
 ほとんど一日中読書して、汚い部屋でのんびりのんびり過ごしている今日。だらしないって、僕だってわかっているんだ。
 けど、気分転換は必要。読書を楽しむのにも、根を詰めすぎたら目が疲れて楽しみにくくなってしまう。それと同じこと。休憩くらいは、いいじゃないか。
 今読んでいる本の主人公なんかにも、言いたい言葉だ。苦しみ足掻く主人公でも、自分の休息くらいはちょっとだけ許してやりなよーって。別の世界が見えるかもしれないよーって。本当に主人公にそう言ったら、きっと「そんな暇も余裕もない!」って怒るんだろうなぁ。
 僕は内心苦笑して、頁をめくった。


2015/01/14執筆

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